中村仲蔵からなのだ。

神田松之丞さんの『中村仲蔵』が
好きだ。


今まで、それほど
講談や落語、謡曲に対して
傾倒していなかった。
お金を払って聞こうなんて
思っていなかった。
まして高座通いするなど…。

自分を一変させたネタが
中村仲蔵』である。


古典落語や講談は
内容が決まっている。
ストーリー展開が同じだから
同じ話を何度も聞くことを
"損したなぁ"くらいにしか
思えなかった。
なぜなら、
新しい話を得ることに価値があると
思っていたから。

だが。

神田松之丞さんの講談
中村仲蔵』は、古典でありながら
新作なんじゃないか、くらいな
新鮮さがあった。

それを聞いた時に
古典>新作、とか
古典=どれも同じ、と思っていた
古臭い脳みそを恥じたのだ。

それからだ。

何度も同じネタを聞くことの
面白さを感じだのは。

人によって違うのだ。

芸人のオリジナリティが
グイグイくることへの期待。

高座に、座布団に
落語なら扇子と手ぬぐい。
講談なら張り扇と扇子、釈台。
着物を着て正座して
最小限の舞台?設定。
強いて言うならライティングくらいか。


なのに、都度都度の刺さりが
違うのだ。
あたしの中に残るものが。

新作だろうが
古典だろうが
芸人の、その演目に対する意識が
気になるのかもしれない。

芸人が、どれだけその演目を
愛しているのかが
知りたいのかもしれない。

人が、
「これ、好きなんだよね」って
語らう姿を見ることが
結局あたしは好きなのだ。

2019年も去年以上に
生で堪能しなきゃと。

面白そうなものに
とことん迫る年にするぞ、と。