味わい方。

 

 

先日の札幌、本龍寺さんで出会えた

馬頭観世音菩薩様が気になった今日。

 

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散歩途中で偶然にご縁を頂けるとは、

やっぱり意味があるんじゃないかと

考えてしまう派なので、こうして

頭から離れないのかもしれない。

しかも、馬頭観世音菩薩様目当てで

本龍寺さんを訪れた訳でもないのに、

一番最初に目に入り、

インパクトが続いているのだから、

何かしらの意味を

考えなければ申し訳ない、と思うのだ。

 

 

「馬頭観世音」と

スマホで検索してみると、

いろんな解説が載っているから

ここでの説明は割愛する。

 

よく忿怒の相と怒髪とセットで書かれ、

ある意味"怖い"と思われているが、

今回お会いした

この菩薩様から忿怒が感じられない。

怒りで魔を遠ざけるというより

むしろ、真っ直ぐ何かに向かいつつ

「もうちょっとなんだよな」とか

「しっくりこないなぁ」と思いながらも、

その集中力で周囲の魔から離れて

自らの目指す世界に到達しようとしている

お姿に見えたのだ。

 

まるで今の自分の憧れている

気持ちを読まれて「こうするといいよ」を

見せてもらったように感じた。

 

三面八臂(3つの顔に8本の腕)。

腕には、今使えば前に進めるよ、の

使ってみたら?なアイテム。

武器はあたし自身の恐れや不安に

立ち向かうように、ってものだ。

そうすれば、

道理が分かり、運命の輪が回り出して(法輪)

生まれた意味に到達出来て

信仰心に繋がるよ(数珠)、と。

そして、有るものを有効活用出来たら

穏やかな両サイドのようなお顔になれる、と

ゴールまで。

 

この菩薩様と対峙した時にはまるで、

タロットをしてもらって

カードを出され、

説明してもらえた気がした。

 

さらに台座の馬の線彫。

 

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躍動感あふれる馬からは、

「なんなら乗せてあげる」って

言わんばかりの優しさを感じるのだ。

 

突然の出会いで

こんな風に勝手な解釈をして

ニヤニヤしているヤツ、

菩薩様は初めてで閉口されたと思う。

だが、図々しくもあたしは

この馬頭観世音菩薩様の前で

充電させて頂けたって訳だ。

 

正統派の信者の方々のお怒りは

ごもっとも…

だけど、こう考えなければいけないという

絶対的な決まりは無いはず。

正しい、とか間違っている、とかじゃなく

どう思うか、だ。

その時の自分の気持ちに正直でいること。

 

当然リスペクトは忘れない。

だけど、柔軟に自由に。

 

最近、

仏像と出会うのが

断然楽しいんだ。