見直して気づいたのは。

 

 

子供達がもはやだいぶ

年頃になろうってのに、

彼らの母子手帳を今さら埋めている…

って話の続き。

 

それぞれ何十冊もある

保育園時代の"連絡帳"を

拾い読みして気づいたのは、

自分の親のことである。

 

特に母親。

 

そこまで仲良くなかった。

いや、むしろ相性は悪い。

何に関してもひとこと多い人間で

言わなくていいのにトゲをつけて

発言して、周囲を萎えさせるうえ

言葉だけでなく、行動でも…。

だから、自分が独立した時にも

子供が出来て、いざ出産て時も

助けてもらおうと思わなかった。

もちろん、彼女にとっては初孫。

かわいいに違いないのだろうが、

その育児方法が、とことん昭和。

 

「残念ながら今はそうじゃないんだ」

 

で彼女はブチ切れて夜中にもかかわらず

怒り狂って、帰ってしまったことがある。

 

初めて親をやるあたしには、

そんな気難しい母親がくると

顔色伺い、気を遣い…が

子供だけでなく、

もう一人追加されるのだ。

疲れる以上に、

精神的におかしくなるから来てくれるな、が

本音だった。

 

そんな過去の圧倒的苦痛の記憶が

ちょっと緩まることがあった。

 

それが先日の

連絡帳拾い読みのおかげである。

 

そこには、2週間に1回くらいの割合で

孫と遊び、1泊だけして帰っていく母親の

ことが書かれていたのだ。

 

あたしが夕食の支度をしている間

孫と遊び、

孫の成長を楽しみ、

朝ごはんを一緒に食べて帰って行く彼女。

 

子供達も、珍しい遊び相手がいてくれたら

楽しいし嬉しいらしく、

折り紙したり、

七夕飾りを作ったり、

絵本を読んでもらったり…

懐かしい様子が書かれていたのだ。

 

母親なりに、

距離をはかり

やれることをやって

それがあたしら家族には

嫌な思いもしたけれど、

助かったこともあった訳で…。

 

少し誤解が解けたのは、

今日が敬老の日だったからかも

しれないな。

 

久しぶりにふと

思い出した母親の件。

 

 

 

#敬老の日