最近思うこと。
シンクロニシティだらけだな、って。
いや、変な文章で
伝わらないか。
気づくいろいろ
周囲の出来事全て
偶然ではない。
偶然を装った必然。
シンクロニシティなのだ。
昨日の神田松鯉師匠の
『神崎詫証文』でも
丑五郎が講談中に
「ちょっと待ってくれ!先生」
って"気づく"ことで
酔っ払いの乱暴者から
泉岳寺の墓守りという
真逆の純朴な人間に生まれ変わった。
いや、本来の丑五郎になれたのだ。
それまでの馬方の丑五郎は
墓守り丑五郎への
大事な道だった訳だ。
決して回り道なんかじゃない
通るべき道。
酔っ払いで乱暴で嫌われ者じゃないと
本来の目的に到達出来なかったって
ことなのだ。
あの時が丑五郎の
シンクロニシティだった訳だ。
やらなきゃいけない間違い。
通り越してふと振り返り
気づく何か。
講談とか、落語もそう、
単に昔話をしてくれている訳じゃ
ないと気づいた。
『小山田庄左衛門』のおかげで
大事な時への覚悟が出来たよ。
無駄にしたくないな。
いろいろを。