教わったら勿体ない。

 

よく、自分の声を聞け、って

アドバイスを貰うことがある。

 

どうしたら良いかは自分の心の声が

教えてくれる、って。

 

そう説教されるのが

一番困った。

 

自分ときちんと向き合って

生きてきた人なら

「何を言っているのだ?

わからないって言っている意味が

わからない」って仰るだろう。

 

恥ずかしいが、あたしは今まで

しっかり自分と向き合って

コツコツと生きてきた人間じゃないから、

本当に"心の声ってなんですか〜?"状態だった。

 

なんなら、周りをみて

周りの顔色から

善悪、自分の進路、物事を判断していた

のがつい最近までの癖だった。

 

そして、せっかくアドバイスをして

くださる人に向かって

(そんな勿体ぶらないで

ストレートに教えてくださいよー!)

などと、声なき声でお願いばかり

していたのだ。

 

"だ"、で終われたのは

考えても考えても

わからなかったが、つい最近

気づけたおかげだ。

 

どうして気づけたか、というと

自分が一番気持ちいい、とか

スッキリする状態になる時間が増えたからだ。

その状態でいる事が

自分にどんな効果をもたらすか、が

明らかになったから。

 

食後直ぐにシンクにある食器を

自分で手洗いした時のスッキリ感。

これは、食洗機ではダメなのだ。

スポンジで洗い

水で流し終えた瞬間。

シンクに何も無くなり

シンク自体をも磨き上げた瞬間。

洗面所の鏡を

湿ったタオルで磨き上げた瞬間。

風呂場のカランを

捨てる直前のストッキングで

ピカピカにした瞬間。

などなど…。

 

に、自分自身がフラットになれて

ふっ、とイメージが湧いて来ることが

わかってきた。

 

あっ、あそこに行きたい!

あっ、あの人に会いたい!

あっ、あの人に連絡したい!

 

の、「あっ」がくるのが

スッキリしてフラットになっている時なのだ。

 

そして「あっ」から始まった事は

物凄く淡々と、

何の邪魔も入らず進行し

気づけば完了していたりするから不思議。

 

この、「あっ」が、多分

自分自身の心の声じゃないのか。

左目の上あたりでも

ふとした瞬間に何かイメージが見えるのだ。

 

仕事を辞めて

自分自身を取り戻せて良かった。

 

こんな感覚があるなんて

全然知らなかったよ。

 

答えを教えて貰わないで

本当に良かった。

「あっ」の気持ち良さっちゃ無いね。