走馬灯。

 

ぞくぞくした。

みうらじゅんの『最後の講義』に。

 

何度目の再放送かわからないが

たまたま番組表をみていて

「あっ!」と気づいて即録画。

(ウチのTVは古いから、録画指定した

ものしか録れないのだ。)

 

久しぶりに自分で自分を褒めてやったね。

この番組に気づいてくれてありがとう、って。

 

みうらじゅん作"走馬灯"を見た瞬間に

「これだ!」と思った。

自分の経験であろうがなかろうが

ベスト版の走馬灯を仕立てるのだ。

で、死ぬ直前にそれを自ら観て楽しみながら

(自分の人生、最高じゃないか)と

いい笑顔で逝かれたら大満足の極みだ。

 

そういえば

時節柄、もはや他人事ではない。

"死"に対して。

明日死んじゃうかもよ、な今日この頃。

"走馬灯"準備を進めるにあたりまずは

みうらじゅん先生からの学びを

あたし的に解釈すると

"いいとこ取り"作戦を進行することだ。

 

他人と比較して

それより劣っているから

落ち込んだり、

無理に努力を自分に強いて

鬱になってしまうのだ。

だったら、見方、考え方を変える。

比較して落ち込んでる場合ではないのだ。

ワニじゃあるまいし、残り何日か

わからない。

至急方向転換しておかないとダメだ。

時間配分で後悔したくはないからね。

 

他人の素敵なところ、

羨ましい所を敢えて探す。

人、本、映画等要所要所を取材し

切り取り、脳内スクラップするのだ。

そして切り抜いた場面の主人公を

自分にする。

その際の感情までト書きに残して

なんなら天に向かって

「これあたしです。

この部分を走馬灯で流します!」

くらいな宣言をしておけば、

満足度も高レベルの"走馬灯もの"を

最期に楽しめるはずだ。

もしかして生きているうちに

そのレールに乗れたら儲けものだな、

くらいにイメージしてね。

 

他人と比較し、

やらなくても良い

気のアップダウンをして

自分探しをとことんやるぜ、と努力を決意し

更に自分を追い込む。

謂わば

"よく頑張りました"な此処までの人生。

 

自分って何かは

みうらじゅん先生が仰る"空"そのもの。

蓋開けて良く良く見たら

本当にそうなのだ。

だからといって

諦めの境地にはまだ立てない青っぱな野郎だが

楽しむことをもう少しだけ

開拓したくなった。

 

何がしっくりくるか、とか

面白がることが近道だな。

他人にどう思われても知ったこっちゃない。

どうかしてる、くらいに

ニヤついてやろうと決めた。

 

この録画、

絶対消せないな。