心の師と『天気の子』に教わったこと。

"神は慈悲深くないが
無慈悲ではない。"


それ、本当にそうなのだ。


今まで、
「助けてください」と
お賽銭箱にチャリーンからの
祈りを何度しただろう。

(よし、これでオッケーだな)

なんてにやけたところで
叶った試しがない。
合格祈願、良縁祈願…と
いろいろあるが、いつだって
第一志望には蹴られて
第ニ、第三志望でお茶を濁した。

で、その原因を検証するに
(お賽銭が少なかったかな)
とか
(祈願中の集中力が足りなかったかな)
なんて、能天気な反省をしていた訳だ。


そりゃあそうだな。
叶いっこない。


何故か。


自分自身が命を削るくらい
動いてないから、だ。

『天気の子』の事を考えていたら
ふと、あたし自身に立ち返ることが
できたのだ。

あの子達との違いは
そこだ。

映画は、こんな使い方も
出来るのか。