七夕って。

 

実はあんまり好きじゃなかった。

七夕イベント的なものが。

 

織姫と彦星がどうの…じゃない。

彼等には是非とも幸せになって欲しいって

そう思っている。

だけど七夕って

雨天決行しないからね。

この日ばかりは晴れになればいいな、と。

陰ながら応援しているのだ。

 

当日はせめて夜だけでも

晴れてあげてはくれまいか。

天の川の氾濫を

なんとか食い止められないものか…。

 

で、七夕不得意理由。

 

小学生時代、いや

もっと前からかもしれないが

願い事を短冊に書くことが

嫌だった。

 

書かないと叱られたから書いたけど。

笹につけて

何年何組の…なんて感じで

校庭に並べられたりしたのだ。

いや、もっと強烈なのは

笹にすらつけずに

画用紙に願い事を書かされて

教室の後ろの壁や廊下に

貼られたりしたことだ。

 

願い事だよ。

子供とはいえ、

かなりのプライベートな事を

よくもまぁ、言われるままに書いたもんだ。

おりこうさん過ぎて笑うしかない。

 

更に拷問だったことは、

願い事を書いた画用紙が

貼ってある時に限って

授業参観なんかがあったりしたのだ。

 

帰宅して親に言われる訳。

 

〇〇ちゃんの願い事は流石だね。

頭がいい人の願い事は違うね。

 

何度も言うが、

願い事だよ。

流石な願い事って意味不明じゃないか。

だが、

親の願い事批評が容赦なかった。

 

それ以来だな。

自分の願い事なのに人目を気にして

しまうのだ。

あたしの願い事は、

カッコ良く見えるか

恥ずかしくないかと。

 

ついでに、

友達に短冊を

声高に読まれるのも

本当に嫌だった。

 

以来、自分の願い事は

あたしの本心ではなくなっていった。

 

失敗した。

そんな拷問を真に受けなければ良かった。

嫌で恥ずかしいなら

上っ面だけ取り繕って書いて提出しておけば

スルー出来たじゃないか。

で、映える願い事を書いた後

改めて自分と向き合い

本心を心の短冊に書く癖をつけておけば

良かったのだ。

なのに、

常に自分を見ずに別のところばっかり

気にしてきょろきょろしていたから、

大事な分岐点で右往左往して

自分ロス的な、

訳がわからん状況になってしまっていたのだ。

上手くやらなきゃ。

 

中二病どころの騒ぎじゃない。

小二病よりもっと強烈かもな。

 

で、だいぶ大人になって

これはマズかろう、と。

こんな過去の記憶を

ちゃっちゃと手放せて

他人事みたいにクリアできたのは、

あの人のおかげだ。

 

願い事は、

誰かに披露する必要はない。

ましてや誰かを喜ばせるものでもない。

 

あたしにとって七夕は

心の奥の

自分の声を聞く時だ。

 

 

#七夕