思い出し落語。

 

思い出し笑いならぬ

思い出し落語をしてしまう。

昨日の鯉八さんの落語。

『新日本風土記』に絡まれて絡まれて。

 

今も湯船に浸かりながら

鯉八さんの、じさまの

 

"よかよか"

 

が聞こえて困った。

 

じさまのそれは、

「とりあえずビール」みたいな

物言いじゃないか。

その場をとりあえず片付けるみたいな

回答じゃないか。

 

ばさまが、

寂しくて、

かばって欲しいだのって泣くのだが、

現況の、何かを解決してやる

イデアや行動を

する訳ではないんだ、じさま。

 

だって"よかよか"だもん。

 

そりゃあそうだ。

50年繰り返して米を作り

「まだ50回しかやってない」って答える

じさま。

他の案なんか無いんだ。

今、目の前にある"これ"

自分のすべきな"これ"しか見えてない。

それしかやれないのだ。

 

ばさまの心境もずっと昔から

気づいているけれど、

変わらないし、変われない。

自分からは動けないし、

動こうとしない。

 

ただ馬鹿正直に

その年の新米を食べさせて、

冬には出稼ぎに行く事が

じさまの愛なのだ。

 

ばさまにも、ちゃんとそれは

伝わっていて、

わかった上での指のトゲ。

吸ってもらって気がおさまるのだ。

 

 

現況打破を試みては失敗し

いつも悶々としているあたしに

メッセージみたいな落語だった。

 

解決策が思い浮かばない。

どうしていいのかわからない。

 

"よかよか"

 

って時もあるんだよ。

じさまにそう教わって。

 

沁みた落語の使い方。

 

#瀧川鯉八

#新日本風土記